80年代コンペ スケールモデル(航空機部門)
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Mig−27 フロッガーD
製作・King of MIZONOKUCHI
後にMig-27となる、Mig-23の改良型であるBNの原型初飛行は1972年、翌73年より量産、配備される。
Mig-27は、主に、旧ソ連国内用の名称で、輸出時はMig-23BNの名称がそのまま使用されている。
ディスカバリー
製作・水凪海 2010年7月 1/200 ハセガワ
今年(2010)引退するスペースシャトルのディスカバリーです。このキットはその昔、アキバのアソビットシティで購入したもの。かなり古いキットで正直いろいろアレな気もしますが、最近の私は無敵モード(全ての資料、考証を無視できるモード)に入っているため、完成に至りました。
金がなくて新しいキットがほとんど買えないため、実家に置きっぱなしになっているキットを引っ張り出してきたというのが本当のところです。
もともと、はやぶさで宇宙熱に犯され、ストックの中に何かなかったかな?と調べた時に出てきたキットです。丁度来年引退予定だし、80年代にモロに現役だったので今回の製作につながりました。
初飛行は試験機のエンタープライズで1977年、ただし、宇宙は飛んでおらず、大気圏内のみの滑空試験。実際に宇宙まで行ったのは、1981年の4月、コロンビアでした。チャレンジャー、ディスカバリー、アトランティス、そして、チャレンジャー代替のエンデバーの5機が建造されました。(エンタープライズを含め6機)
シャトルシステムはよく言われるように、当初の予定をはるかに下回る飛行しか出来ず、しかも、原因は異なるとはいえ、2回の事故でチャレンジャーとコロンビアが戦没。
正直成功したとは言いがたいプロジェクトでしたが、何だかんだ言ってもコレがなければISSは完成しなかったでしょう。
余談ですが、コレの引退に合わせたわけでも無いでしょうが、日本のHTVの登場のタイミングが余りにもすばらしかった。
さて、キットは当然全て素組み。当初ペイロードベイ内面にミラーフィニッシュを貼ったり内部のディティールアップも考えていたんですが、開閉がどうも怪しく、数回やると壊れそうだったので、ギミックをオミット。接着してしまいました。
さらに、飛行状態をイメージし、脚もすべて収納状態で再現。全体にヌメっとした分かりやすい形にしました。
塗装はネット上の実機写真などを参考にしつつ。フラットブラックとホワイト、エナメルでウォッシングなどして仕上げ。キャノビー枠はマスキングとか面倒くさいので、サクラネームペンで塗りました。
デカールはコロンビア事故以降だったらしくディスカバリーとアトランティス、エンデバーしか入ってませんでした。このうち、今回のコンペを考えると、初飛行が1992年のエンデバーは除外。残るディスカバリーとアトランティスから選ばなくてはならないのですが、まぁ、日本人飛行士が1回も飛んでないアトランティスじゃない方が良いように思ったので、結局ディスカバリーに。
作ってみて、航空機ではあるが通常の翼断面では無い翼の形状や、顔が0系新幹線そっくりであるなど、作ってみていろいろと実感しました。なかなか楽しかったですね。
ところで、作り終わったくらいの段階で、ハセガワからハッブル宇宙望遠鏡の発売情報が。1/200でシャトルのオマケ付き。もっと早ければなぁ・・・。しかし、ハッブル宇宙望遠鏡、カッコいいよね。どうみてもスペースコロニーです、本当にありがとうございました、って感じ。(大げさw)こっちもまず買いますね。またシャトルが余るけど。
スペースシャトルが、最初に宇宙へ行き、戻って来た時は、自分は小学生でしたね。ゲーセンのTVで、帰還の実況を観ていた覚えがあります。その頃、スペースシャトルのプラモも買ったのですが、何故かジャンボジェットのような旅客機が同封されており、シャトルがその背中に乗ると言うヤツでした。
時期も時期でしたので、「ガンプラに売れないパチ物を抱き合わせたように、話題のスペースシャトルに売れない旅客機を抱き合わせたのか?」と思っていましたが、それから20年以上経ってから、それは大気圏内の滑空試験をする為の仕様らしい、という事を知りました。
成型色が白で、黒だけ塗れば済むスペースシャトルは、小学生には優しいアイテムでしたが、問題は旅客機のような大きなアイテムは作った事がなく、流し込みタイプの接着剤を知らないだけに、こちらは厳しいアイテムでした。
個人的な主観になりますが、このアイテムが、80年代を最も現していると思います。(解説・セルジオ越中)